映画の話。
2005年5月11日筆者は目が弱い為、映画館に入れません。暗いトコであぁいう映像を見るのがダメなんですよ。でもゲーセンはヘッチャラですよ。そこらへんは気の持ちようというかKI-AIというか。
そんなわけで実は、映画館に入った事が人生で4回しかありません。最初の一回目が「ドラえもんの何か」。東映マンガ祭りかなんかだったような…? 次が「バットマン」。第一作目です。ほいで「ムトゥ 踊るマハラジャ」と来て、最後が「マトリックス リローテッド」。こうして並べるとメチャクチャですね。
映画館には行けませんが、映画そのものは割とけっこうかなり好きです。主に鑑賞はビデオ鑑賞になってしまうのがツライとこですが。
そんな筆者がいま、ものすご〜〜く気になっている作品があります。
タイトル(邦題)は「俺たちに明日はない」、原題は「BONNIE & CLYDE」。
あまりにも有名な映画の為、ご存知の方も多いでしょう。しかし、実際に鑑賞したという方は意外にも少ない不遇の傑作。なにしろ古い作品ですからね。制作は1967年。監督はアーサー・ベン。
もちろん筆者も未鑑賞です。(関係ありませんが、←の「みかんしょう」を変換したら「みかん賞」になりました。誰か「みかん賞」について詳しい説明求ム。)
あらすじを簡単に。
舞台は大不況が吹き荒れるアメリカ1930年代。
クライド・バローの職業は自動車泥棒。基本的に小心でショボい自動車泥棒。でもカッコをつけたがるクセがあり、デカイ事を言った後に引っ込みがつかなくなるタイプ。最近、刑務所から出所してきた。
ボニー・パーカーの職業はウェイトレス。退屈な日々に飽き飽きしており、刺激にとてもとても飢えている。
クライドが今日も「仕事」をこなしているところへボニーが声をかける。
「ちょっと、それうちのママの車よ」
運命的というのはちょっと弱い、けれど運命的な冒頭のシーン。
カッコつけのクライドはボニーの気を引こうと「俺は泥棒だ」とアピール。ボニーは初めて見る泥棒に興味津々。「やってみてよ」とボニー。クライド、引っ込みがつかなくなり、実行。
ところがコレが大成功してしまう。有頂天のクライド。ボニーも興奮を隠し切れずクライドに抱きつきキスをする。
これに気を良くしたふたりはまるでスポーツを楽しむように犯行を重ねていく。罪の意識はなく、スリルと興奮に魅了されていくふたり。
■
そんなある日、ある事件をきっかけに「銀行強盗をやろう」と決意する。
ふたりは緊張して田舎の銀行を襲撃…するのだが、すでに銀行は倒産。金庫の中はからっぽだった。あまりの衝撃に銃を乱射するクライド。
途中、自動車泥棒のモスという少年が一行に加わる。さらにはクライドの兄、バック、そしてその妻ブランチも参加。5人で旅を続けるが、クライドとこの兄夫妻は性格が合わず、何度も喧嘩になる。
■
それでも5人は犯行を重ね、銀行も再度襲撃する。今度は大成功! 大金を手に浮かれる5人。なにもかもが上手くいく。楽観的な5人。まるでギャングのヒーロー&ヒロイン。服もすべて新調し、颯爽とした振る舞いと共に垢抜けていく。
■
彼らが銀行を襲撃した記事は当然、新聞にも載り、一行は一躍有名に。この頃のアメリカの銀行というのはまさに悪役。それらを次々と破壊していく彼らはまさに時代が望むヒーロー。閉塞とした時代、彼らは望まれるべきして望まれた存在だったのかもしれない。
■
様々な事件を経た数年後、モスのオヤジさん宅にて、クライドはプロポーズし、ふたりは無事に結ばれる。ボニーはクライドに「今までの事が何も無くなって、やり直せるとしたらどうする?」クライドは、「遠くの町に住んで、「仕事」はほかの州でやるよ」
この頃になると、ふたりは静かな、そしてまっとうな暮らしを夢見ていました。
■
しかし、ふたりの幸せは長続きしない。モスの父親が警察に彼らの事をリークしていたのだ。息子であるモスの無罪を取引材料として。
突如茂みの中から放たれる無数の銃弾。隠れていた警察官たちだ。ふたりは銃撃の嵐の中、無防備のまま射殺される。八方から放たれた銃弾はなんと150発。それぞれ50発の銃弾を浴び、即死。
この時、すでに死体となった体が銃撃の中でその衝撃に踊る名シーンは「死のバレエ」と呼ばれ、映画史に残る名シーンのひとつとして語り継がれている。
■
クライドがボニーにプロポーズをし、平和な生活の望んだ翌日、ふたりは射殺された。なんと皮肉な運命だろう。
生前、ボニーは詩にこう記している。
いつの日か、ふたりは共に倒れ、並んで葬られる。
一握りの者には、悲しみ。
その筋の者には、安堵。
だが、ボニーとクライドには、死。
しかしふたりの死後、ボニーとクライドは並んで埋葬されず、数キロ離れた墓地にそれぞれ埋葬された。それは今も変わらない。
■
日本風に言うならば石川五右衛門でしょうか。大衆の感情的大敵を狙う犯罪者。心の底で望んでいた事を実行してくれる代理人。ボニー&クライドはそんな時代に選ばれたふたりでした。決して手に入らない望み、手に入れてはいけない望みを叶えたふたり。警察は彼らを重犯罪者と断罪しますが、民衆は違います。表立ってその行動に賛成は出来ないけれど、心の中では喝采を挙げていたに違いありません。ボニー&クライドの存在は、今も大衆の心の底で生き続けているのでしょう。
そんなわけで実は、映画館に入った事が人生で4回しかありません。最初の一回目が「ドラえもんの何か」。東映マンガ祭りかなんかだったような…? 次が「バットマン」。第一作目です。ほいで「ムトゥ 踊るマハラジャ」と来て、最後が「マトリックス リローテッド」。こうして並べるとメチャクチャですね。
映画館には行けませんが、映画そのものは割とけっこうかなり好きです。主に鑑賞はビデオ鑑賞になってしまうのがツライとこですが。
そんな筆者がいま、ものすご〜〜く気になっている作品があります。
タイトル(邦題)は「俺たちに明日はない」、原題は「BONNIE & CLYDE」。
あまりにも有名な映画の為、ご存知の方も多いでしょう。しかし、実際に鑑賞したという方は意外にも少ない不遇の傑作。なにしろ古い作品ですからね。制作は1967年。監督はアーサー・ベン。
もちろん筆者も未鑑賞です。(関係ありませんが、←の「みかんしょう」を変換したら「みかん賞」になりました。誰か「みかん賞」について詳しい説明求ム。)
あらすじを簡単に。
舞台は大不況が吹き荒れるアメリカ1930年代。
クライド・バローの職業は自動車泥棒。基本的に小心でショボい自動車泥棒。でもカッコをつけたがるクセがあり、デカイ事を言った後に引っ込みがつかなくなるタイプ。最近、刑務所から出所してきた。
ボニー・パーカーの職業はウェイトレス。退屈な日々に飽き飽きしており、刺激にとてもとても飢えている。
クライドが今日も「仕事」をこなしているところへボニーが声をかける。
「ちょっと、それうちのママの車よ」
運命的というのはちょっと弱い、けれど運命的な冒頭のシーン。
カッコつけのクライドはボニーの気を引こうと「俺は泥棒だ」とアピール。ボニーは初めて見る泥棒に興味津々。「やってみてよ」とボニー。クライド、引っ込みがつかなくなり、実行。
ところがコレが大成功してしまう。有頂天のクライド。ボニーも興奮を隠し切れずクライドに抱きつきキスをする。
これに気を良くしたふたりはまるでスポーツを楽しむように犯行を重ねていく。罪の意識はなく、スリルと興奮に魅了されていくふたり。
■
そんなある日、ある事件をきっかけに「銀行強盗をやろう」と決意する。
ふたりは緊張して田舎の銀行を襲撃…するのだが、すでに銀行は倒産。金庫の中はからっぽだった。あまりの衝撃に銃を乱射するクライド。
途中、自動車泥棒のモスという少年が一行に加わる。さらにはクライドの兄、バック、そしてその妻ブランチも参加。5人で旅を続けるが、クライドとこの兄夫妻は性格が合わず、何度も喧嘩になる。
■
それでも5人は犯行を重ね、銀行も再度襲撃する。今度は大成功! 大金を手に浮かれる5人。なにもかもが上手くいく。楽観的な5人。まるでギャングのヒーロー&ヒロイン。服もすべて新調し、颯爽とした振る舞いと共に垢抜けていく。
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彼らが銀行を襲撃した記事は当然、新聞にも載り、一行は一躍有名に。この頃のアメリカの銀行というのはまさに悪役。それらを次々と破壊していく彼らはまさに時代が望むヒーロー。閉塞とした時代、彼らは望まれるべきして望まれた存在だったのかもしれない。
■
様々な事件を経た数年後、モスのオヤジさん宅にて、クライドはプロポーズし、ふたりは無事に結ばれる。ボニーはクライドに「今までの事が何も無くなって、やり直せるとしたらどうする?」クライドは、「遠くの町に住んで、「仕事」はほかの州でやるよ」
この頃になると、ふたりは静かな、そしてまっとうな暮らしを夢見ていました。
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しかし、ふたりの幸せは長続きしない。モスの父親が警察に彼らの事をリークしていたのだ。息子であるモスの無罪を取引材料として。
突如茂みの中から放たれる無数の銃弾。隠れていた警察官たちだ。ふたりは銃撃の嵐の中、無防備のまま射殺される。八方から放たれた銃弾はなんと150発。それぞれ50発の銃弾を浴び、即死。
この時、すでに死体となった体が銃撃の中でその衝撃に踊る名シーンは「死のバレエ」と呼ばれ、映画史に残る名シーンのひとつとして語り継がれている。
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クライドがボニーにプロポーズをし、平和な生活の望んだ翌日、ふたりは射殺された。なんと皮肉な運命だろう。
生前、ボニーは詩にこう記している。
いつの日か、ふたりは共に倒れ、並んで葬られる。
一握りの者には、悲しみ。
その筋の者には、安堵。
だが、ボニーとクライドには、死。
しかしふたりの死後、ボニーとクライドは並んで埋葬されず、数キロ離れた墓地にそれぞれ埋葬された。それは今も変わらない。
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日本風に言うならば石川五右衛門でしょうか。大衆の感情的大敵を狙う犯罪者。心の底で望んでいた事を実行してくれる代理人。ボニー&クライドはそんな時代に選ばれたふたりでした。決して手に入らない望み、手に入れてはいけない望みを叶えたふたり。警察は彼らを重犯罪者と断罪しますが、民衆は違います。表立ってその行動に賛成は出来ないけれど、心の中では喝采を挙げていたに違いありません。ボニー&クライドの存在は、今も大衆の心の底で生き続けているのでしょう。
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